文亨進様インタビュー「七死復活」
2016年1月12日にインタビューされた内容です。
「七死復活」
ある日幻を見ました。
お父様の御顔が一万の太陽のように輝き近づくことができませんでした。
同時にお父様の体が監獄にあるのを見ました。
お父様の霊人体がまた同時に地獄にあるのを見ました。
つまり肉体は監獄にあり、霊人体は地獄にあったのです。
地獄では魔物たちがお父様を八つ裂きにしていました。
そこでお父様は魔物たちに向かって「子供達を解放するかわりに私の体を持って行け」と叫んでおられました。
魔物たちはお父様の肉をむさぼり、お父様を抱えて引き裂いていました。
この幻を見たことで霊的突破口を開きました。
お父様は6回の生死をさまようような牢獄と拷問の生活を送られた。
逃げるのではなく、喜んで拷問を受けるその場に進んで行かれた。
それは私のため、家族のため、氏族とその未来のためにそうされたのです。
お父様がそういうことを「私」のためにされたことを初めて知りました。
あらゆる苦労は「私と家族の救い」のためにあったのだと。
私たちが神様の前に正しい者として立てるのは、お父様がこのようにして支払われた蕩減条件のおかげなのだと悟りました。
そこから七死復活がでてきました。
お父様の愛は友のために一度死ぬ愛などでなく
愛する子女のために何度でも、何度でも死ぬ、そのような愛でした。
私はイエス様のみ言から存在論的に一段飛躍しました。イエス様は肉的な父ではなかったからです。
お父様が真の愛とおっしゃるとき
何度もくぐられた、拷問などの十字架路程を通してお父様が現実に体現された愛を指すのだということを悟りました。
それは私と関係のない苦労、蕩減ではなく
お父様の苦難の路程は
「私」が神様の前に正しく立てるようにしてくださるものだったということです。
私と家族、孫、そして子孫が神様の前に正しく立てる者になるためです。
神様がこの啓示を与えられてから
お父様への見方、お父様との関係において完全な変化がおこりました。
それまでお父様は、私にとって偉大な教師、偉大な指導者でした。
メシア、救い主である意味が分からなかったのです。
しかしこの啓示においてお父様が救い主であられ、私自身を救ってくださったのだと、
そしてそれなくしては誰も神様の前に正しき者として立てないと悟りました。
お父様が蕩減を払い、代償を払うことで
私がその路程を歩まなくても神様の前に立てるのです。
これは巨大な転換でした。
お父様が何者であるか分かったのです。
その価値の大きさ、単なる教師、預言者ではないのです。
メシアと預言者は違うでしょう?
私たちが神様の前に正しい者として立つために、犠牲になられる、人類の救い主なのです。
これが私にとっての一大転換でした。
(ここでインタビュアの言葉です)
お父様は私たちに責任分担を果たすように強く迫ってこられました。
しかしお父様がしてくださったことを忘れてはならないのですね。
(文亨進様の言葉)
その通りです。96%です。
私たちの責任分担は、
救い主を信じて従うか、信じないで背をそむけるか、
そこにあるでしょう。
(とても大切な言葉だと思います。二代王様は具体的に神様とメシアにわたしたちをつないでくださいます。)