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文亨進様インタビュー「お父様のお側で過ごした2年間」

「お父様のお側で過ごした2年間」2016年1月12日
(韓国協会では色々お忙しかったと思いますが、お父様はそのすべてを横において、お側で生活するようにおっしゃいました。
その期間がどのようなものであり、また学んだことについてお話しいただけますか?)
素晴らしい期間でした。
おそらく私の人生で最高の恵みの時であったと思います。
当時、世界中の全教会、世界宣教本部、UPF(天宙平和連合)、世界青年連合、世界CARPなどのすべてを私にまかせてくださっていました。
大変に大きな責任です。
忙しさにかまけて神様との関係をないがしろにしがちです。
おまけにソウル天福宮の責任者でした。めまぐるしいほどの忙しさでした。
それに加えて毎日トレーニング、2時半に起きて、霊的訓練など、毎日休む暇がありませんでした。
このように多忙な時期を過ごしましたが、そこには自分が大変な仕事をこなしている
それだけ神様に尽くしていると錯覚する誘惑もあります。
そのような時にお父様がお側で生活するように呼ばれました。
大きな転換ですね。
一切のスケジュールがなくなりました。スケジュールを組めないのです。
外部からVIPが私に会おうとしても会えないのです。
週末には家庭連合の家庭を訪問していましたが、それもできなくなりました。
その他あらゆる行事への参加もストップしました。
お父様についてゆくのが最優先で、お父様も常に動いておられました。
アメリカに行かれたり、また韓国に戻って、突然に世界巡回されたりそのすべてに同伴しました。
釣りも欠かさず行きました。
今日ラスベガスのミート湖で釣りをしたと思ったら翌日は太平洋での釣りをするという具合です。
まったく環境が変わったのです。
私は才能のある漁師ではなかったので、よく船で瞑想したり、勉強をしようとしたりしていました。
スケジュールのないスケジュールに慣れようとしました。
どこであれお父様が行くというところに従って行きました。
最初のうちは精神的に困難なことでした。次に何が起こるのか予測がつきません。
しかしある時点でそのストレスから解放されました。
お父様に乗っかって、お父様の動きに身をまかせることにしました。
自分の仕事に思い煩うことなくお父様といっしょに過ごすことを最優先したのです。
そう決めてから本当にお父様との時間を楽しみました。私も素をさらけだして、一緒に総合格闘技を観戦しました。
私が実際にやってみせたこともあります。警護員を絞め技でギブアップさせたり、本当にお父様とはそういう親密な時間を過ごしました。
私が格闘技をしていることをお父様が好まれたことは驚きでした。私は格闘技をしている事実を公から隠してきました。
ところがお父様は全面的に受け入れて下さったのです。お父様もとても好まれたのです。
ある台風の朝、韓国南部の小さな島にいたのですが、政府はすべての船に出港禁止命令を出しました。台風が通り過ぎるまで出港できません。
その日は部屋にこもって総合格闘技をお父様と見たのです。ポイント、ポイントで私は解説しながら一緒に見たのですが
それはとてもすばらしい時間で、深い親子の絆を感じました。
船でお父様が居眠りをされたとき船室にお連れして二人きりで寝転びました。その時の写真もあります。
お父様とそのようなみつの時間を過ごすことは
私に重要な悟りを与えてくれました。
宗教や宗教的純粋性、条件や修行が大切なのではない。
それらは世間に自分が善人であることをアピールするための手段にすぎない。
真に大切なのは宗教ではなく神様との関係だということです。
それをお父様は教えて下さいました。。
宗教家、宗教指導者としてのお父様を超えたところで本当に親しい関係、触れるほどの現実味ある喜び、愛情、抱擁を感じたのです。
総合格闘技は本当に血なまぐさいのですね。ひどいことをすることもあるんですね。
私の中で一日に何時間も瞑想する宗教家の姿と格闘技とは一つになることはありませんでした。
それが解放されたということです。
お父様が完全に受け入れて下さることで、私も格闘技を受け入れることができました。
本当にすばらしい日々でした。
それらの日々があるからこそ、お父様との関係性によって、聖和後に生じたとんでもない出来事や数々の困難の時を超えることができました。
すべてを失い、お母様さえも、私たちに背を向けるという絶望と孤独の時にも力を与え続けてくれたのです。
ですからこの2年間はお父様が与えて下さった貴重な時でした。
これを理解していなければ
今頃、後継者、相続者として「関係性」や「関わり」ではなく「宗教」を教え続けていたことでしょう。
計り知れないほどの転換でした。
それがなければ共に生きる人間としての、神の人、キリストを語らず
レバレントムーンの神学を講義していたことでしょう。
大きなお父様の贈り物であり恩寵でした。
(終わりに私の感想ですが、真のお父様の前に信仰者としての姿を見せてくたさっているとおもいました。)


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