(ご家族とともにペンシルベニアに移ることを決意されました。
どうしてペンシルベニアに決めたのか知りたいと思うのですが……荒野のダバーに。)
ミドバーです。それはダバーに由来します。
あなたはユダヤ人だから知っているべきですよ。
(すみません。私は出来の悪い生徒ですね。)
残念なことにお母様がご自身の神学を続けることを決断され、それを変えるつもりがないという現実に私たちは直面しました。
それでイーストガーデンを出ていくことは、はっきりしていました。もうここにはいられないと。
それでも彼らは、あなたはまだ給料をもらっているじゃないかと言うために
送金しようとさえしていましたが
私は韓国の銀行口座を閉めてしまいました。
それで給料を送金できなくなりました。私はすべて切ってしまいました。彼らが私に紐を残さないためです。
「いやいや、彼は資金を受けているよ。」と言わせないためにすべて切りました。
なぜならサタンがどのように働くか知っているからです。
そのひもが繋がっていると、
彼らはいつも「彼はあんなことをしているけど、実際お母様からお金をもらっているのに」と言うのです。
それは真の子女によく起こることなのです。逃げることのできないひもがつけられているのです。
私はそれを切ってイーストガーデンを出ました。
私たちは荷物をまとめていたんですが、国進兄さんは、ご自分の会社のことでもうニューヨークから出ていました。
彼の工場はもう別の場所に移転していました。
私たちは、聖霊によりお父様が導く場所に移ったのです。
最初に来たのがPA(ペンシルベニア)つまりこれは、お父さん、父を意味します。(PAは「お父ちゃん」(呼びかけ)意の俗語でもある。)
そして最初についた場所がローズ・バレー(LordsValley:「主の谷」の意味)でした。
え?本当に?と思いました。
ここは国進兄さんが自分のために探していたものでした。
ローズ・バレーのサンライズ・レイク・コミュニティです。これはもうまったく信じられないほどのことです。
私はイーストガーデンを出る準備ができ、場所を探す必要があって、国進兄さんが一緒探しに行こうと言ってくれました。
彼はここで探し始め、何人かの人と会いましたが、彼らは不思議にもいろいろ助けてくれたのです。売り出される前の古い物件を知っていたのです。
それで神様がいろいろなできごとで導いてくださり、なんとか場所を見つけました。。
600エーカーの掘り出し物の物件でした。広大な荒野のような場所です。
兄の自宅も154というのが番地なのですが、お父様が聖和されたのも午前1時54分だったのです。
私たちは「お父さん(PA)」の州におり、これは独立の州でもあります。(注:なおペンシルベニア州の公式愛称は「礎石の州」)
ペンシルベニアで独立宣言が署名されたのです。
私たちはニューヨークの「帝国の州」を去り「独立の州」に来たわけです。(ニューヨークの愛称は帝国の州(エンパイヤステート))
象徴的な帝国からの脱出、出エジプトのようなものです。それはもちろん家庭連合のナルシズムの偽りの帝国のことです。
それで、すべてがサインでした。
154というお父様の聖和の数字も。
ここにいる人々と会ってコミュニティの中に入ってみると、みんなハンターであったり、人民の武装権を支持する人々であったり、
この国で最も銃の所有率の高いところであったりして、信じられないほどです。
私たちは本当に受け入れられました。
お父様の作ったワシントンタイムズの価値が、ここでは非常に尊重されているのです。
子供が公立学校に行って、先生に「君のおじいさんを尊敬しているよ。彼はワシントンタイムズを作った、あれはすばらしい」と言われました。
ニューヨークではそのようなことはまったくありませんでした。いつも「いやだ」「ひどい」でした。
お父様がここに導かれました。ポコノは岩を意味します。(ペンシルベニア州ポコノ山地のこと)
聖書にあるように私が立つ岩があるのです。
マタイ7章に岩の上に家を建てる賢い人の話があります。風が吹いても、嵐が来ても倒れることがないという話です。
このような荒野の中に導いてくださったということは、本当に驚くべきことです。
本当にここは荒野のような所なのです。しかし純粋な美しさがあります。
本物のアメリカ、本物の自由を愛する精神があります。
それは、ニューヨークやニュージャージーなどの大都市を支配する共産主義的なものとはまったく違います。
状況は非常に速く拡大して行きました。
そしてとても素晴らしい人々と出会いました。
彼らも迫害を受けていたのですが。山の男たち女たちです。
そしてただ神様が導いたのです。驚くべきことですね。
おもしろいことにペンシルベニアは政治的にも紫の州と言われています。スイング・ステートなのです。
右に傾くのか、左に傾くのかといった、全米の雰囲気を代表するようなところです。
(スイングステート、共和党と民主党の勢力が二分される激戦区のこと「紫の州」も赤=共和党青=民主党の中間を意味する)
社会福祉もあり大都市もありますが、非常に保守的な面もあります。人民の武装権、銃を持つ権利、自己防衛など。
風変わりな紫の州なのです。アメリカ全体の論調の雰囲気を決めているような感じです。
地名もローズ・バレーやプロミス・ランド・パーク、全部聖書的なのです。ニューファンドランドもすごいですね。
私たちにはお父様が導いているとわかります。
ここにきてからの啓示や夢はすべてお父様との出会いでした。神秘的な出会いです。
そして賛美礼拝を始めると次から次に人々も集まり、もっとたくさんの神秘的な啓示や幻、におい、音、神秘的な感触、神秘的な感覚、
そういったすべてのもの、様々な霊的五感が様々な人から解き放たれました。
この荒野の地で聖霊の働きと・贈り物がそれをもたらしていることがわかります。
私はそれが、お父様がいつも荒野に行かれ、イエス様が荒野に行かれた本当の理由だと思います。
それは自分自身を再び発見する場所なのです。
サタンと戦う場所でもあります。
興味深いのはイエス様も荒野に出てサタンと戦ったということです。
それで同じように私たちも荒野に出て、世界中のサタンと戦うのです。
インターネット活動は世界中の人々をサタンの偽りの支配と囚われの身から解放するのを助けます。
荒野は重要なものを表しています。
ヘブライ語のミドバー(荒野)はダバーというみ言を表す言葉に由来していますが、何かと取り組み合うことも意味しています。
ヤコブが天使と組み打ちしたのは荒野でした。そしてイスラエルとなったのです。
ですから、荒野というのは、取っ組み合いをして、自分を試さなければならないところです。
そして自分が何者かわかるのです。
お父様も荒野に行かれました。
アラスカやアマゾンのジャングルに行かれ、釣りや狩猟などをされたのです。
以前相談されたとき、ある婦人が「私は時々とても孤独で淋しくなります。それをどうしたらいいか分からない」といわれました。
それで私の返事ですが「当然です。」といいました。
人間は堕落して神様が分からなくなりました。
もともとは神様と繋がっていて、それが最初です。神様と人間との二性性相です。
堕落によって、この関係がなくなったので、淋しくて孤独なのはあたりまえです。神様との関係が切れてしまったのですから。
そこにサタンが入ってきて、わたしが不幸になるよううながす存在が入ってきて、サタンとの関係が定着してしまったのですから、淋しく、孤独に陥るのはあたりまえです。だから、そこから脱出して救われないといけないと、だから神様とのメシアによってしか気持ちを解放出来ないといいました。
久しぶりに思い出してかきました。何故かというと同じような考えをもてば整理できる相談をされたからです。
今日ある婦人が意識を集中出来ないと相談されました。
お祈りしても、訓読しても長く集中出来ない、他のことが浮かぶ、といわれました。
今私が向き合わないといけない内容の他に出て来る事、そこに霊界の関与があると考えると整理しやすくなると思います。
私の目前にあるお祈り、声を出して祈っても、出さないで祈っても、集中してお祈りを出来るといいのですが、ふと別の考えがよぎる、その事に集中できない。
私はお祈りするということに集中したい。しかし一旦心に浮かんだ思いに心は奪われてお祈りしながらそこに意識が行っている。
そのわいたように浮かんだ思いはどこから来るのでしょうか。その思いや意識は、心から来ると思います。そしてそこにその別の思いの主体があります。
その主体がことがらを持ってきて私にそれを意識をさせます。
そして私はそのことがらに意識が行き、結局誘惑されたのと同じ、つまり誘惑されたことになるのだと思います。それで意識がそれてしまいます。
その主体が霊界の霊人です。そこに意識を向けたとたん、私はその霊人の思い霊界の思いと授受作用をし、
お祈りをしている自分から意識だけは霊界との授受作用を始めてしまい、表面からは形だけのお祈りになってしまいます。
それで、あーお祈りができなかった、とか今日はお祈りに集中できなかったとか、言ってそのままお祈りの時に浮かんだ事からごと、忘れてしまいます。
これはわたしの経験です。
悩んで、考えて、わいてくる思いに霊界が関与していると分かりました。それで無理に自分を正すことをやめて、正直に闘うことにしました。
何故そのようにしてくるのか。自分の意識がどうして奪われるのか。本当に難しくやがて自分の罪だと分かりました。とても落ち込みました。
神様を求めました。助けて下さいと。そしたら私の罪の仕組みをみせてしださいました。私の蕩減復帰をさせない存在が妨害しているとはっきり自覚できたのです。
それが、恨みの霊、悪霊、サタンでした。私が成そうとすることをことごとく妨害して、成就させないと動き、働く、存在でした。
神様と真の御父母様の守りと導きがなかったら、私はとっくにダメになっていたと思います。
私に見せてくださったのは、思いの主体でした。誰なのか。心のひとつひとつに主体と対象があるとはとおもいました。
正直に丁寧にひとつひとつ点検しました。その時思い出した言葉が、瞬間瞬間を分別するという言葉でした。
私が成そうとすることを徹底して妨害してくる、成就させない。相手は徹底しています。本当に恐ろしい存在です。そして徹底して自信を奪います。初めて生活の中のサタンを意識、実感しました。生活の中で霊界が関与していた。当たり前のことです。しかしすべてにおいて霊界と無関係のことは無いと実感したのです。驚きでした。
私の心に別の思いが来る、良いときと悪いときがあります。良いときは、ひらめいて神様が与えてくださることです。
悪いことに関しては、きちんと整理して越えるときなので、むしろ教えられているかもしれません。自分を裁かず、向き合って整理して解決したらいいとおもいます。
その方向に神様が導いてくださいます。こつこつひとつひとつの積み重ねをしていると神様がしあわせの方向に導いてくださいます。
そういう内容を実感するのです。生活の中での霊界との関わり、私たちに直に触れる霊界、それを通して神様に出会い触れることができたら、どんなに素晴らしいでしょうか。
そして、霊界を知り、理解して毎日を過ごすことができれば地上と霊界の境がなくなり、今この時から地上と霊界一緒にして生活する事の素晴らしさも実感できるのではないでしょうか。そしてそうすれば、私は神様のもとに様々な自分に関わる人生を神様が願われるように主管して生活出来るようになるのでないでしょうか。
日常生活の中で霊界と向き合いましょう。
そしてこれらに導いてくれたのは原理講論のみ言でした。
原理講論すごい!
神様に、真の御父母様に感謝!感謝!感謝!
「天正宮建設後のお母様」
母の底流に「自分は犠牲者だ」という思いが常にあったと思います。
そこに捉えられてしまっていたのでしょう。
自分は犠牲者であり、お父様が全権を持ち、自分は声を上げることもできない、
六マリアなど公表できず、胸に秘めておかねばならない問題もあった、等々。
家庭連合はいまだにこれを隠しています。この点に関してはメシアを不信しているのです。
母と同じです。
「お父様にも弱点があった」指導部はこう言っていますよね。記録にも残っています。
彼らはお父様をメシアとは思っていません。
母が「自分は犠牲者である」という強い心的傾向を持っていることは誰もが知っていました。
しかしその思いの強さ、大きさの規模を誰も想像すらできませんでした。
ましてそれに対して「復讐」するほどだったとは。
これが衝撃的であり、多くの人を驚かせたのだと思います。
私たちにとっても衝撃以外の何物でもありませんでした。到底愉快なことではありません。
それが私たちが母の下を去った理由です。
お父様から離れ去った母のもとからカインとアベルが離れることが必要でした。
そうしなければ自由がありません。
もしそばに居続ければ、お父様を冒涜する一味になってしまいます。
その結果王国が失われるでしょう。
カイン、アベルが離れ、真のお父様を主体的中心に据えることによって、たとえお母様が失敗して真の母の位置を失ったとしても、天国への展望が開かれるのです。
お父様御自身が王位を継承させた三代王権として、三代をかけてそれは成就するでしょう。
失敗したお母様の空位を埋めるべく、私の妻が、エバの位置を継承して真の母の位置に立ちました。
こうなることは誰も想像もできなかったでしょう。
もちろんお父様の晩年にはお母様が争うことも多くなりましたし、お父様は堕落の血統だ、などと言い
お父様は「離婚する」と答えるなどのやり取りを見てきました。
そのように争いがエスカレートしていくのを見てはいましたが、清平(修練苑、天正宮)ができるまでは、それほど気には留めてはいませんでした。
しかし清平(天正宮)ができてからというもの、母は抑えがたく尊大になりました。
「私がこれを建てた」
「私がいなければ、これはできなかった」
「韓氏の血統がなければできなかった」
「洪ハルモニ(大母様)がいなければ、これができなかった」
「すべての栄光は自分にある」
「スタジアムも王宮も私が建てた」等々。
世界中から食口が清平に集まるようになったのは、お父様が金孝南に権限を与え、彼女の修練会に参加しなさいと呼びかけたからであって、
金孝南自身が特別な能力を持っているわけではなかったのです。
お父様が彼女の講義に食口が参加することを許可されたので集まりました。
それだけの理由です。
すべてを神様とその実体であるキリストに栄光を帰すこと、これは信仰者のいろはです。
母はそれすらできなかったと言えるでしょう。
すべてをお父様の栄光に帰すことができなかったのです。。
最終的には神様がすべてを用意されたおかげで勝利できるのです。
確かに母は不満をもち、犠牲になったという恨を持ってはいましたが、
その恨の大きさ、復讐の激しさを見て、私たちは衝撃を受けました。
お父様が定められたことを、ことごとく変え、祝福リングからお父様の名前を消し去ることまでしました。
お父様を完全に消し去ろうとしています。
母が独自路線に走り、自ら神を名乗るなど、三年前から始まっていました。
それで母のもとから去ったのです。
「2015年まで沈黙を守った理由」
母がその道から引き返すよう(その間)全力を尽くしていたからです。
仮に当時私が今のようなことを話しても理解することができなかったでしょう。
三年間で証拠がたくさんでてきました。
母がお父様から離れたという事実を否定したくとも否定できない事実の数々です。
私は愚かではありません。
社会学も心理学も群集心理までも理解しているつもりです。公的生活も理解しています。
愚かであることを願う者たちもいたかもしれませんが、私は愚かではありません。
だからお父様は私を選ばれ、信じて下さったのでしょう。
私たちは愚か者でなく忠実で名誉を重んじる者たちです。
物質的富は人生の目的にはなりえません。
名誉ある人には富は自然と付いてくるものです。
富だけを求めるなら不名誉をこうむり審判を受けるでしょう。
今の家庭連合がそうです。
金、資産、権力を追い求めはしますが、神様の愛やキリストの愛を求めようとはしません。
だから今崩壊しつつあるのです
何も持たずに出てきました。ここには何もないのです。オバマ・ケアを受けるほどでした。
大変なバッシングを受け、すべてを失いましたが、お父様を手放さなかったおかげで、すべてを得ることができました。
名誉を重んじる人々、正義のために闘う人々、王の王のためにたち上がる人々が大勢出てきました。
そうした人々が立ち上がり、私たちと共に活動しています。
彼らは組織ではなく信仰によってつながっています。。
ここからあれこれ指示を出しません。それぞれが自治体です。
ただキリストへの信仰と愛で結ばれています。
集まった人々は真に名誉を貴ぶ人たちです。
お金がどうこういうのではなく、のろわれても憎まれてもお父様のために立ち上がる本物の人たちです。
こういう人々とともに歩めることは本当に名誉あることです。
これらの名誉、倫理、お金や権力ではなく、善の追求を重んじるKタイプの人々の上に文明は築かれます。
それに加えて信仰生活を貴び祝福子女であることを貴く思うKタイプの若者も集まっています。
もちろん風変わりなおかしな人もいていいのです。
自由ですから。
自由と責任は、そういう未完成状態を超えて罪人をキリストの信仰と愛で一つにするでしょう。
神様が私たちを清め新しくしてくださるでしょう。
自己愛と自己憐憫の教会ではない讃美に満たされた、神様を愛する世界教会です。
それが文明を変え文明を築くのです。
だから今大勢の人々がお父様の王権に引き寄せられ、王権と行動を共にするようになっているのです。
皆さんは私がどのように暮らしているのか知っています。長い期間ごまかせません。
ずっとそばで暮らしてみれば、その人の人間性が分かるのです。天正宮にいればあまりに離れているので外見しか見えません。
同じところで暮らしていれば、どのように生活して、どんな人で、子供達のことなどもすべて偽りなく知ることができるのです。
このポコノ山地でみんな私たちのことを見たと思います。私たちはまったく普通です。
私たちは虚栄心や自己愛ではなく、偉大なもののために生活しています。
王の王としてお父様を高く掲げ、お父様の王国を建設したいのです。